とある世界。
 そこは、魔法という絶対的な存在が全てを支配していた。
 「…バカじゃねぇの?お前、俺たちより大きいくせに字もろくに読めないのかよ」
 「無駄無駄!どうせ聞いちゃいねぇよ」
 「いっつもただ座ってるだけだもんな〜」
 ここは、リフェリアの静かな住宅街、『Э―3』地区。
 裕福な子供たちは、貧しい子供を馬鹿にして楽しんでいた。
 「…やっぱり聞いてねぇな」
 「おいっそろそろ行こうぜ。こんなのと喋ったのがバレたら怒られちまう」
 「だな」
 彼女は、無造作に腰までのびた濃い紫色の髪を面倒くさそうな顔で見てから、汚れた布を羽織りなおして裾の砂を払った。
 彼女の名前はレイル、十五歳。親を早くに亡くし、当然家もなく独りで生きてきた。言葉は自分で覚え、文字も少しは読める。
 「…そこのあなた、家に来ませんか?」
 突然声をかけてきたのは、整った顔立ちをして綺麗なクリーム色の髪を腰までのばし、高級そうな服を着た少女。
 「…俺を見せ物にする気か?」
 レイルは鋭い目つきで少女を睨んだ。
 「そんな!私はただ、服が汚れているから私の服を差し上げようと思って…」
 その少女は、両手を振って否定した。
 「私はソフィー。あなたは?」
 「お前に名乗る義理はない」
 レイルはそうはき捨てた。
 「…そうですか…ではとりあえず私の家に来てください。温かいスープでも飲みながらお話したいわ」
 ソフィーがレイルの手を掴もうとした。
 「触るな」
 「え?」
 レイルがソフィーの手を払いのける。
 「…俺に触るな。特に手には」
 「まぁ…なぜ?いいじゃないですかそれくらい。ほら」
 「!」
 ソフィーがレイルの手を握った。
 「離せッ」
 「だってこうでもしないと、あなたついてきてくれなさそうなんですもの」
 レイルは手を振りほどこうとする。
 「…わかった!行くから早く離せっ!」
 レイルは手を振りほどいて、2,3歩後ずさった。
 「…お前…後で後悔しても知らねぇからな」
 「後悔?しませんよそんなこと。どんなことでも意味はあるんですから」
 そう言ってソフィーは微笑んだ。
 ――こいつ、知らないんだな…俺の噂を。…いや、噂じゃねぇか。本当のことだ。
 俺は呪われてる。俺に触った奴は一週間以内に必ず死ぬ。
 暫く歩くと、このЭ―3地区で一番大きな屋敷に辿り着いた。
 「…どうぞ」
 ソフィーはにっこりと微笑んで、中に入るよう促した。すると門が開いて、中から使用人が駆け寄ってきた。
 「ソフィーお嬢様、これはどういうことなのですか?」
 「…どうかしたの?それよりお客様に温かいスープを出して頂戴」
 「は…はい」
 使用人は渋々屋敷に戻っていった。
 「まったく、お客様がいるというのに…気を悪くしないでくださいね」
 ソフィーが言う。
 「いや?あれが妥当な反応だと思うぜ」
 「…育ちや格好がどうであれ、邪険にされて良い人などいません!」
 レイルは鼻で笑った。
 「…何が可笑しいのですか?」
 「…いや…お前は所詮、世間知らずのお嬢様なんだって再確認しただけだ」
   *   *   *
 「……」
 「ほら!やっぱり似合いますよ!私では少し小さかったんです。差し上げますわ」
 「…着ないと思うけどな」
 「いいえ!一度くらい着てもらわないとこの服が可哀想ですわ!」
 ソファーに座り、運ばれてきたスープを口に運ぶ。
 「…美味しいですか?」
 「マシなもの食ったことねぇから、わかんねぇな」
 「…じゃあ家に住みますか?」
 「遠慮しとくぜ」
 ソフィーの誘いに即答すると、レイルは背もたれに身を任せて天井を見上げた。
 「……」
 「…どうかしました?」
 ソフィーが問う。
 「…いや?」
 レイルは一瞬目を閉じると、ソファーから立ち上がった。
 「邪魔したな。恩を仇で返すことになると思うが、恨むなよ」
 「…え?」
 そのまま歩き出そうとするレイルの手を、ソフィーが両手で握り締めた。
 「…! だから俺に触るなって…!」
 「教えてください」
 「…は?」
 ソフィーがソファーに座ったまま、レイルの手をしっかりと掴んで言った。
 「あなたは何か大きなものを抱えている。きっと私や他の人なんかじゃ耐えられないような何かを。そしてあなたは、それを一生独りで抱え続けるつもりでいるのでしょう?」
 ソフィーの言葉に、レイルは小さく笑った。
 「…だとしたらどうする?お前が俺を救えるのか?」
 「…それは…」
 ソフィーは言葉を詰まらせる。
 「お前が知ったところで何も変わりはしない。お前は何も出来ない」
 「……」
 完全に言い返せなくなったソフィーを少し見ると、レイルはずっと握られていたソフィーの手を払いのけた。
 「…最後に良いこと教えておいてやるぜ。お前は一週間後に死ぬ。絶対にな」
 歩き出したレイルの背中にソフィーが叫ぶ。
 「私っあなたがどこに行こうと絶対に見つけてみせます!絶対にあなたの前に現れてみせます!」 

 「…それまで生きてられないだろうけどな」
 レイルの呟きは、秋が深まったリフェリアの風に消えた。
   *   *   *
 「…お嬢様?いかがなさいました?」
 「…名前、結局言ってくれなかった…」
 「先程のお客様のことですか?」
 「…ええ。何か知っている?」
 「知っているも何も…有名ですよ、あの人」
 「え?」
 ソフィーは耳を疑った。
 「有名?どうして?」
 「それは…言いにくいのですが…」
 「構わないわ。教えて頂戴」
 「…あの人は、呪われてるって…言われてるんです」 
   *   *   *
 レイルは、暗く寒くなったЭ―3地区を歩いていた。
 当然行く当てなどない。今日の寝床を探しているのだ。
 「あいたっ」
 家の角を曲がろうとした時、レイルの肩に誰かがぶつかった。
 「あ…悪い」
 「いえ、こちらこそ申し訳ありません。余所見をしていたもので…」
 ぶつかったのは少女で、レイルより背も小さく顔立ちも幼い。しかし教養はしっかりされているらしく、レイルに深々と頭を下げた。
 「…あら、よく見たら服が汚れているようですね。宜しければ私の家にいらっしゃいませんか?私の姉のもので良ければ、きっと譲ってくれると思うので…」
 「いや、遠慮させてもらう。俺の個人的な理由で悪いが、しばらく人と関わりたくない」
 レイルがそう言うと、少女は少し残念そうな表情になったがすぐに微笑んだ。
 「いえ、いいんです。私のほうこそ初対面の方に突然失礼しました。またお会いできるといいですね。この辺りに住んでいらっしゃるのでしょう?」
 「…まぁな」
 少女はもう一度微笑むと、小さくお辞儀をして走り去っていった。
 レイルは、少女にソフィーの印象を重ねていた。
   *   *   *
 一週間後。
 レイルは一週間前と同じ場所で、何を待っているのか…ただ座り込んでいた。
 ――俺は何をしているんだ…。あいつは…もう死んでるんだ。呪われた俺の手を二度も握ったんだからな。触るなと言ってやったのに…自業自得だ。
 
 「そこのあなた、家に来ませんか?」

 「…は…?」
 レイルはこの声を知っている。
 声の主は呪われたレイルの手をそっと握ると、レイルを見て微笑んだ。
 「ほら、言ったとおりでしょう?『もう一度あなたの前に現れてみせます』って言いましたから。きっと此処にいるだろうって思ったんです」
 囁くような声で、ソフィーは優しくそう言った。
 レイルは、もう手を振りほどこうとはしなかった。いや、出来なかった。
 彼女に、こんなに何度も接してくれる人など今まで居なかったから。
 「使用人から聞きました。あなたが呪われていると噂されている事。あなたは私に『一週間後に死ぬ』と言いましたが、私は今此処にいます。生きています。あなたは呪われてなんかいませんよ」
 「…なんで…そこまで俺に会おうとするんだよ…?俺なんか…一緒にいたって良い事なんかねぇんだぜ…なのに…」
 「私は損得で行動したりしません。例え自分に損しか残らなくても、やりたいと思ったことをやるんです」
 ソフィーは誇らしげに言った。
 「…バカだな…お前…」
 「私の名前はソフィーですよ」
 「…俺の名前はレイル。初めてだぜ?俺が他人に自分の名前教えるなんて」
 ソフィーはくすっと笑うと、
 「他人じゃありません。私たちは友達です。レイルは、私の大切な友達です」
 そう言って、空を見上げた。 

 雲ひとつない、透き通った綺麗な空だった。
 「ありがとう…ソフィー」