裸足で道を先導する栞の背中を見ながら、レイはふと この山に来てすぐのことを思い出していた。
「そういや三日前も、こうしてお前に案内してもらったよな」
レイの言葉に、栞は少しだけ振り向いて
「そうね」
と返事をする。
「結構長居した気でいたけど、たった三日しか経ってないんだよな…。色々あったし」
「えぇ」
「でも俺が足を怪我していなかったら、もっと手っ取り早く片付いてたんだろうな」
「……」
木々の向こうから、微かに水の流れる音が聞こえてきた。
「…お、なんだ?川か?」
レイは目を瞑って耳を澄ます。
しかしそのせいで栞が立ち止まったことに気付かず、彼女の背中に軽くぶつかってしまった。
「あっ悪い…。…どうした?」
栞は俯いたまま動かない。
また何かあったのだろうかと思い、レイは栞の顔を覗き込もうと首を傾げた。
「それは違うわ!」
「うおっ」
突然栞が声を荒らげる。レイは驚いて思わず一歩後ずさった。
「違うって…何がだよ。川じゃないってことか?」
「いいえ。…貴方って、本当に鈍感なのね」
栞は小さくため息をついて、呆れたような表情を見せる。
「鈍感って…」
「足を怪我していなければ、というのは間違いよ。あの時貴方が怪我をしなければ、あたしは貴方にご飯を出してあげて、貴方の空腹の満たしてあげて、きっとそれで終わりだった。そうでしょう?」
その亜麻色の髪と同じ色の栞の瞳がレイを見る。
確かに、レイは栞から何らかの食料をもらったら、そのまま旅を続けるつもりでいた。
栞が再び歩き出したので、レイもその後に続く。
「別に怪我をして良かったっていう意味じゃないのよ。でも、あたしと貴方がこうして関わりを持ったことはきっと、あの人が…」
言いながら、栞は空を見上げた。
まるで、その向こうに誰か知り合いでもいるかのような表情で。
「…あの人?」
レイはよく理解できず 栞に問いかけるが、栞は振り向いて悪戯っぽい笑みを浮かべると
「残念だけど、貴方なんかが出会えるような存在じゃないわ」
と目を細めた。
「それってどういう…」
「さぁ、着いたわよ」
これ以上の質問はさせないと言わんばかりに、栞がレイの言葉を遮って口を開く。
見ると、目の前には澄んだ水の流れる小川があった。
「この川を上流にしばらく辿って行くと、そこに泉があるわ。泉の反対側に行くと今度は下りになっているから、そこを下り切れば山の向こうよ。泉の周りは岩場になっているけれど、貴方なら大丈夫でしょう」
川の上流を指差して、栞は言う。
「下り切るまでにどれくらいかかるんだ?」
レイの質問に、ふむ と考えるような仕草をして、
「そうね…この山脈の中で一番短い距離で行けるとは言え、急いでも一日はかかるかしら」
と栞は答えた。
「食べ物なら心配いらないわ。水辺には色んな植物や果物があるから、好きに採って食べて頂戴」
そう付け足して言う。
「そうか。じゃあ遠慮なく利用させてもらうよ」
レイは栞を見てから、にっ と笑みを浮かべた。栞もそれに応えるように微笑む。
「…それじゃ、そろそろお別れね」
「あぁ」
「またいつか、会いましょ」
「それまで元気でな」
互いに短く別れを告げると、レイは川の上流へ歩き出した。
幼い頃から旅をしてきたため 今更寂しいなどとは感じないが……この出会いは、きっと特別だ。忘れないようにしよう、とレイは心に誓ったのだった。
そのまま振り向かずに歩いていると、遠くの方から
「雪の子によろしく言っておいて!貴方ならきっと会うだろうから!」
と叫ぶ栞の声が聞こえた。
「…おい、雪の子って…」
誰だよ、と問おうと振り向くが、そこにはもう栞の姿は無かった。
ただ狐の鳴き声が、川の音に紛れて響いたような気がしただけだった。
「ったく……最後まで自由な奴だ」
レイはため息混じりに呟く。
しかし、自然に口元に浮かんだ笑みに 目に見えない何かを得られたような気がした。


それからレイは 川の流れる音を聞きながら、ゆっくりと歩き出したのだった。
これからの旅も、良いものになりますようにと願いながら…。