朝。
レイもいつの間にか寝ていたようで、ゆっくりと目を開けると、昨日の夜と同じ位置――つまりレイの脚の上で 栞が寝息を立てていた。
夜中に起きて移動してくれていればいいと思っていたのだが、それはなかったらしい。
「…おい、朝だ。起きてくれ」
レイが栞の肩を揺すると、栞は耳をぴくりと動かして身動ぎした。
「…ん…?」
「お、目ぇ覚めたな。寝起きで悪いが、ちょっとよけてくれるか?」
寝ぼけているのか、栞はしばらく何を言っているのか分からない様子だったが 突然目を見開いて勢いよく起き上がった。
「なっ、なんであたしが貴方の脚の上で寝てるのよ…!」
言いながら、両手で自身の肩を抱く。
「いや、それは昨日…」
「まさか貴方、あたしが眠っている間に何かしたんじゃ…!」
「なわけあるか!あんたが勝手に俺の脚を枕にしたんだよ!」
濡れ衣を着せられそうになり、思わず大声で否定してしまう。
俺のせいにされてなるものか。
それを聞いて、栞はびくりと反応した。
「そう…だったの…。貴方の所為にして悪かったわ…」
しゅんと耳を垂らして、呟くように謝罪の言葉を口にする。
「あ、いや…分かってくれればいいんだ」
何故かレイのほうが罪悪感に苛まれてしまう。女慣れしていないレイはこう言うことしか出来なかった。
「あんた昨日は疲れて寝ぼけてたからな…。まぁいいよ、気にしない」
レイはそう言って苦笑した。
「そう…じゃあ、朝ごはんを採りに行ってくるわね」
栞は立ち上がると、軽く伸びをして 昨日とは違う方向に走っていった。
「……はぁ」
小さくため息をつき、レイは木に寄りかかって空を仰いだ。といっても、たくさんの枝に覆われてほとんど見えないのだが。
微かな木漏れ日と、時折聞こえる風の音や鳥の声の中でしばらくぼーっとしていたが、その時ふと 何年も連絡すらとっていない妹――ミィのことを思い出した。
両親を失った後、ミィは病気にかかってしまい 立ち寄ったステリアという村に預けたまま、ずっとほったらかしにしてしまっていた。
もちろんミィが嫌いなわけではない。
兄として最低だとは思うが、どこかで大丈夫だろうという考えがあったのだ。
ふらふらと旅をしていたレイに 当然向こうから連絡する手段など無く、レイも特に手紙を送ろうなどとは考えなかった。
今思えば、両親を失って自分が世話をしなければいけなかった妹のことを、どこかで足枷のように思っていたのかも知れない。
一人で旅をすることで、それから逃れようとした…とも思えてくる。
――しかしまぁ、久しぶりの母国なのだから あちこち巡ってミィにも会いに行こう。たった一人の家族なのだ。
レイはそう区切りをつけると、栞の帰りを待った。


「…大変…!」
しばらくして、栞が血相を変えて走ってきた。
「ん?どうした、そんなに慌てて」
「食料が無いの!」
ものすごく切羽詰まった表情で言われるが、その内容に思わず笑ってしまいそうになる。
「なんだそれ。ここは実りの山なんだろ?食い物くらいどこにでも…」
「そういう意味じゃなくて!」
レイの言葉を遮り、栞は激しく首を振った。
「は?じゃあどういう意味なんだよ」
状況が理解できず 少し苛立ちの混じった声で返すと、栞は一瞬悲しいとも悔しいともつかない表情を浮かべた。
「昨日も言ったでしょ!?食べ物は有るところと無いところがあるのよ。今あたしが行ってきたところは、あたししか知らない場所の筈なの。あそこが荒らされるなんて…」
俯いて独り言のようにそう言った栞は、今にも泣き出してしまいそうだ。
「…なぁ、決まった場所に食い物が無かったくらいで大袈裟じゃないか?動物が食べたのかも知れないし…。別の場所にはあるんだろ?そっちのを採ってくればいいだけなんじゃ…」
栞の対処に困ったレイは、とりあえず栞を落ち着かせようと試みる。
しかし逆効果だったようで、栞にきっ と睨まれた。
「それだけで済む問題じゃないのよ!あの場所は動物達が簡単に行けるような場所じゃないし、麓の村人にだって教えていないのに…!」
その話を聞きながら、レイは密かに感心していた。
わざわざそんな場所まで採りに行っていたのか。
「…ていうかあんた、村人に姿見せてるんだな」
神は人に姿を見せないと思っていたのだが。
「耳と尻尾は見せていないけれど、豊穣の髪の使いってことになってるわ。…まぁ、初めて会った村人にそう名乗ったからだけど」
栞はさらりと言う。
「確かに山に一人で住んでいる謎の少女が神の使いだと名乗れば、信じるかもな」
レイも最初は、栞を貴族の娘だと勝手に思い込んだ。
そもそも見た目15,6歳程の少女を、誰が神そのものだと信じるだろうか。
そんな奴は、耳やその能力を見せられたレイくらいのものだ。
レイと話して少し落ち着いたのか、栞は深呼吸をして
「一旦このことは置いといて、とりあえず朝ごはんを食べましょう。その後、あたしはあたしの餌場を荒らした奴を探しに行くわ」
と言った。
神様の“餌場”発言もどうかと思ったが、ここで話をややこしくしても意味がないので 触れないでおいた。
「仕方ないから、昨日と同じところに行ってくるわね」
栞は長いため息をついてからそう言って、小走りで去っていった。


「お。おかえり」
昨日と同じ果物を抱えて戻ってきた栞に、レイはそう声をかけた。
「……」
しかし栞は、浮かない顔をして俯いたまま返事をしない。
昨日の焚き火はレイが目を覚ました時には既に消えていたので、今度は周囲に落ちた葉を拾って、栞が火をつけた。
口ではああ言っていたが、やはり先程の件が気になるのだろう。果物を熱する栞の表情はどこか上の空だ。
「……あのさ、栞」
初めて、彼女の名前を呼ぶ。
耳がぴくりと動いて、栞は手を止めると 顔を上げてレイを見た。
少し、不安そうな目で。
こういう時、事情もよく分からないまま深く首を突っ込んでしまうところは 自分でも直さなければと思っているのだが、どうしても放っておけない。
「何か、俺に出来ることはあるか?」
先程彼女の逆鱗に触れてしまったこともあり、首を傾げて控えめに問うと 栞は一瞬驚いたように瞬きをしてからレイの顔を数秒見つめた。
そして
「ぷっ」
と小さく笑った。
「ちょ、なんだよ人がせっかく…」
「なぁに、その情けない顔は!…ふふっ」
言いながら、栞はまだくすくすと笑っている。いったいどんな表情をしていたのだろう。
しかし彼女を元気付けることは出来たようで、栞はレイに微笑みかけると 再び果物を焼き始めた。
「嬉しい申し出だけど…気持ちだけ受け取っておくわ。貴方の足、まだ完全には治っていないだろうし…」
言って、またレイを見る。
「それに、あたしは神様なのよ?この山の危険因子を取り除いておくのは、あたしの仕事だわ」
にっ、と笑みを見せる。それにつられて、レイも小さく苦笑した。
「貴方の言うとおり、ただ動物が食べただけかも知れないし…ね!」
レイは栞の言葉に頷き、視線を落とす。
――俺の助けは要らなさそうだな。
「……おい、それ…焦げてないか…?」
嫌な予感がして、レイは栞の手元を指差した。
「えっ?あっ やだ!ちょっと、焼きすぎたじゃない!」
「俺の所為かよ!?」
そんなこんなで、結局二人は黒焦げになった苦い果物を食べたのだった。